セオテクノの誇り

セオテクノにしか
ないものが、ある。

世の中にはたくさんの「足場屋」がありますが、セオテクノが自信を持って誇れるもの、それは「人」の存在です。
セオテクノを支える「者」。セオテクノで足場を固めた「者」。
そして、セオテクノの足場に踏み出す「者」。
それぞれ、生い立ちや立場は異なれど、思いは同じ。
セオテクノが誇る「者」たちの個性や人間味が、少しでも皆さんに伝われば幸いです。

足場を支えるものたち

「人」が主役。
「あなた」が主役。

セオテクノで日々汗を流すスタッフの1日に密着します。

お客さんと職人をつなぐ“架け橋”。

サービス課課長
寺崎泰介

「足場職人」として現場で9年間汗を流し、現在はお客さんとの打合せや職人のスケジュール管理を一任されている寺崎泰介。いわば、セオテクノの職人たちを束ねる“大黒柱”的存在だ。11月某日、そんな寺崎の1日の仕事に密着した。職人として現場で大工さんの「足場」を支えるだけが、「足場屋」の仕事にあらず――。密着によって浮き彫りになった、寺崎が支えるものとは?

1 Day Report

鳴り止むことのない、
電話。電話。電話。

午前8時30分。我々が密着を開始した時、寺崎泰介はすでに携帯電話を片手に取引先と話をしていた。「午前中は電話が多い」。事前にそう聞かされていたので、特に驚きはない。ただ、それが「普通ではない」と我々が気付くまでに、1時間とかからなかった。

密着を開始して1時間、寺崎の携帯が鳴った回数は、我々が把握しているだけでも7回。さらに、自分からかけた電話が3回。単純計算で、6分に1回電話がかかってくる(かけている)ことになる。「ひっきりなし」とは、まさにこういうことを言うのだろう。

「今はちょうど職人たちが現場に向かっている時間なので、お客さん(施工会社や現場監督)から『何時に現場に到着するか?』っていう確認の電話が多いんですよ」と寺崎。

職人が現場に到着する時間は、その日の道路状況や前の現場の進行具合によって大きく左右される。そのため、「朝」「昼過ぎ」など大まかな到着時間は決まっているものの、詳細時刻までは決まっていないことが多いそうだ。

ちなみに、この日の朝、セオテクノを出発して現場に向かった職人たちは総勢8チーム。電話が鳴り続けるのも納得である。しかも、到着時刻の確認のみならず、進行具合や作業完了のメド、時にはクレームまで、すべての現場に対するほぼすべての問い合わせが寺崎の携帯電話にかかってくるというから驚く。

「お客さんと職人が直接話せば済む話では?」当然の疑問を、寺崎にぶつけてみた。

「もちろんその通りです(笑)。ただ、職人って体力だけじゃなく、神経もかなり使うんですよ」。

たしかに、足場職人の仕事は一事が万事。たったひとつのミスが、隣の家を損傷させてしまったり、通行人にケガを負わせてしまうなど大惨事につながりかねない。また、もし騒音やホコリなどが原因で近隣住民から施工会社や現場監督にクレームが入れば、その瞬間、作業は問答無用で中断となる。そしてそれは、翌日以降のすべての予定を狂わせることを意味する。足場がなければ作業はできない。大工さんはもちろん、もし翌日の作業のために施工会社がクレーンなどの重機を手配していた場合、それもムダになってしまう。神経をすり減らすのも無理はないだろう。

「だからこそ、職人じゃなくてもできる仕事は全部僕が引き受けます。職人は、足場を組み上げるプロ。余計な心配はせず、自分の仕事だけに専念してもらいたいですから」。

自分の仕事だけに専念してもらう――。これは、職人のためであると同時に、お客さんのためでもある。「お客さんと職人の“架け橋”」。寺崎泰介という男は、まさにそんな存在だった。

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パズルの如く。
でも、根本的に違う。

電話対応は、寺崎の仕事の一部に過ぎない。彼の仕事は、現場と職人のスケジュール管理。どの職人に、どの現場を任せるかは寺崎の判断で決まる。

11時過ぎ。寺崎が、翌日のスケジュールを組み始めた。翌日に依頼が入っている仕事は全21現場。これを8人の職人に振り分けていく。21現場÷8人=職人ひとり当たり約2.6現場だが、そんなシンプルな計算で振り分けられるほど簡単な作業ではない。まず、ひと言で「現場」と言っても、ゼロから足場を組み立てる場合もあれば、1度組み立てた足場に追加や変更を加える場合もある。逆に、解体の場合もある。さらに、4階建ての建物の足場を組み立てる現場もあれば、足場の1区画だけを解体する現場もあったりと、作業ボリュームもそれぞれ異なる。加えて、千葉、東京、埼玉、茨城など、その作業場所もさまざまなのだ。

「作業内容」「作業ボリューム」「作業場所」。この3つを考慮しながら、100%すべての現場の作業が滞りなく完了し、なおかつもっとも効率の良い“ベスト”な振り分け方を導き出す。これは、現場での作業を知り尽くしているからこそ成せる業だろう。

青(ゼロからの組み立て)、赤(追加・変更の組み立て)、黄(解体)に色分けされ、平米数と作業場所が書き込まれた21枚のマグネットをじっと見つめながら、クイズの答えを探すかのように5分ほど黙って思案する寺崎。そして「よしっ」と小さな声でつぶやくと、迷うことなく職人の名前が書かれたボードにそのマグネットを貼り始めた。真っ白だった翌日のボードが、見る見るマグネットで埋まっていく。ジグソーパズルのピースがどんどんはまっていくかのような爽快感があった。ただ、彼が動かしているのは「ピース」ではない。「人」である。

「当然、職人ごとに経験や力量にバラつきがありますし、その性格もバラバラ(笑)。また、すべての現場の作業を完了させることが大前提ではあるものの、効率だけを考えるとどうしても経験の多い職人の負担が大きくなり、若い職人が育たない。あとは、子方(見習い)との相性もあったりと、とにかく『人のバランス』をとるのがいちばん難しいですね」と寺崎。

わずかな時間でそこまで考えていたことにも驚いたが、そのあとの寺崎の言葉にもっと驚いた。

「例えば、彼は明日、おそらく作業を全部終えられないと思います」。そう言いながら、寺崎はボードに書かれたひとりの職人の名前を指差した。「彼はサービスマン(親方)になりたてで、これまでは1日1現場でした。ただ、頑張ってるので、明日は初めて1日2現場任せてみようと。おそらく終えるのは無理でしょうが、経験しないことには成長しませんからね」。

さらに寺崎は、別の職人の名前を指差す。「だから、このベテランの職人を明日はあえて1現場だけにしています。この職人は、この規模の現場ならおそらく14時には作業を終えるでしょうし、(親方になりたての)彼の2つ目の現場とも場所が近いので、頃合いを見てサポートに行ってもらおうという算段です。もちろん、(親方になりたての)彼には言いませんよ。彼にも職人としてのプライドがあるし、最初から来てもらえると分かっていたら気持ちに甘えがでますから」。

前言を撤回させていただく。「作業内容」「作業ボリューム」「作業場所」「職人の人間関係」「職人の成長」――。寺崎はわずかな時間のなかで、この5つを考慮しながら“ベスト”な振り分け方を導き出していた。

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現場でトラブル発生?
緊張が走る。

14時。寺崎の仕事が一段落し、我々と一緒に外で束の間の一服をしていたときのことだった。会社のドアが開き、慌てた様子で中から出てきた従業員が寺崎にこう告げた。

「○○(サービスマンの名前)が、作業の仕上がりのことを現場監督に指摘されて失礼な態度をとったとクレームがあった。すぐ事実関係を確認してほしい」。

それまで、どんなに仕事が忙しくても笑顔を絶やさず、我々への気配りも欠かすことのなかった寺崎の顔に、険しさが滲んだ。緊張が走る。そして、しばしの沈黙のあと、寺崎が口を開いた。

「すぐ確認します。ただ、○○はそんなバカな真似は絶対しませんよ」。

静かな口調だった。だが、その言葉には、確信にも近い強い意思が込められていた。

結論を言えば、クレームの対象はセオテクノの職人ではなかった。

「僕たちは現場での出来事を、いわば又聞きの又聞きのような形で聞いたりもしますので、伝言ゲームじゃないですけど、事実とは異なって伝わったり、情報の行き違いなども少なくはないんですよ。もちろん、それが事実であれば職人を厳しく叱責します。ただ、もし頭ごなしに怒って、それが事実じゃなかったら、やっぱりモチベーションが下がっちゃいますよね。ただでさえ大変な作業をしているわけですから。僕は他の誰よりもうちの職人の性格は理解しているつもりですし、僕が知る限り、そんな態度をとるような職人はうちにはいません。だからこそ、まずは僕が信用してあげないと」。

「なぜ、そんなに冷静でいられるのですか?」。そう寺崎に質問した。密着を開始してからずっと疑問に思っていたことだ。

「いやいやいや(笑)。全然、冷静じゃないですよ。実際、今だってドキドキしてます。『今日のあの現場、大丈夫かな?』『あの職人、無事に今日の作業を終えられるかな?』って」

冬は日が落ちるのが早い。暗くなればなるほど、職人の作業のリスクが高まる。同時に、遅い時間になればなるほど、作業の“音”がクレームにつながる可能性も高まる。

「でも、僕が焦って『終わりそう?』『あとどのくらいで終わる?』なんて電話をかけたら、その焦りが職人にも伝染してしまう。それに何より、僕が焦っても仕方がないですからね」。

自分が焦っても仕方がない、という寺崎の言葉は、「問題なく、きっと無事作業を終えて帰ってくる」という、職人に対する信頼の裏返しのようにも聞こえた。

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1本筋の通った関係。
寺崎泰介が支えるもの。

17時30分。職人たちが乗ったトラックが続々と帰ってきはじめた。照明の灯ったヤードに「カンッ、カンッ」という賑やかな金属音が響く。朝同様、ヤードにもっとも活気が溢れる時間帯である。

オフィスに戻ってくるなり、職人たちは寺崎がボードに貼り付けた翌日の自分の現場を確認する。驚いたのは、この瞬間まで職人たちが自分の翌日の現場を知らないことだ。

「この現場のあとでこの現場って、キツくないですか?」翌日の自分の現場を確認した職人が、やや不満そうに寺崎に対してそう声をかけた。

「えっ?どれ?」寺崎が素知らぬ顔で職人に近づいていく。「ああ、これね・・・。まあ、お前にしかできないからさ」と笑みを浮かべる寺崎。

「またまた〜(笑)」。職人はそう言ったあと、ふて腐れた素振りを見せながら「図面をください」と続けた。

職人たちは、お客さん(施工会社)から届いた設計図面をもとに「足場」の図面を引き、「その現場にどんな足場を組むか?」「どんな部材をどのくらい持っていくか?」を決めていく。つまり、「図面をください」はいわば、寺崎に対し「了解した」という意思を示す“返答”でもある。

そんな寺崎と職人とのやりとりを見て、この仕事は寺崎にしか務まらないだろうと思った。職人として9年間現場で汗を流した寺崎は、職人の大変さを体で知っている。そして職人たちもまた、寺崎が自分たちのために日々身を削っていることを知っている。お互い、感謝の言葉や労いの言葉を掛け合うことはない。仕事には、仕事で応える。信頼には、信頼で応える。寺崎と職人の間に、そんな1本筋の通った“いい関係”を感じた。

1日の密着を終え、寺崎と一緒に外で一服をした。寺崎は我々(3名)に缶コーヒーを1本ずつ差し入れてくれた。その中に、1本だけ「ブラック(無糖)」が混じっている。

「ブラックでしたよね?」寺崎が、我々の1人にそう訊ねた。朝、その1人だけがブラックを飲んでいたのを見ていたらしい。我々も朝、寺崎が電話の応対に追われている姿を見ていただけに、「いつ見ていたのか?」と驚いた。こんな細やかな気遣いも、寺崎が職人たちに親しまれる所以なのだろう。

最後に、「職人時代の仕事と今の仕事では、どちらが大変ですか?」と聞いてみた。

「体力的には職人時代のほうが大変でしたが、精神的には、そりゃ今のほうが大変ですよ(笑)」。
寺崎は、間髪入れずにそう答えて、笑った。

「職人時代と今とでは、どちらが充実していますか?」と聞くのはやめた。寺崎の笑顔が、その答えを物語っていたからだ。

職人たちは、日々、現場で大工さんたちの「足場」を支えている。そして、そんな職人たちを日々支える寺崎泰介という男は、間違いなく、セオテクノという会社の「足場」を支えている。

はじめから読む

寡黙にして、温厚。“古き新しき”職人。

サービスマン
長谷川賢二

20歳から「足場職人」としての人生をスタートさせた長谷川賢二。以来、この道一筋17年、これまでに組み立てた「足場」の数は3000棟を超える。そんなセオテクノ屈指の職人・長谷川の1日の仕事に密着した。11月下旬、冷たい雨が降る気温の低い日ではあったが、その仕事ぶりには、サービスマンとしての心構えと職人としてのプライドや美意識が息づいていた――。

1 Day Report

背中に感じた、
“古き新しき”職人像。

早朝6時30分。密着取材でこの日の仕事に同行させてもらうことを伝え、挨拶をすると、トラックの荷台に足場の部材を積んでいたその男は作業の手を止め、「こちらこそ、よろしくお願いします」とにっこり笑った。そして、我々に対し丁寧に頭を下げた。

彼の名は長谷川賢二。経歴・実力ともに、セオテクノ屈指の「足場職人」のひとりである。

意外だな、と思った。失礼ながら、“職人=気難しそう”という先入観があったからだ。加えて、この日の気温は7℃。空からは雨も落ちている。ただでさえ普段よりも悪条件のなか、取材という特殊な条件まで加わるのだから、正直、やりづらくないはずはないだろう。

にもかかわらず、地面を叩く冷たい雨や、トラックに積まれる部材が鳴り響かせる無機質な金属音とは対照的な、人間味溢れるあたたかな笑顔が印象的だった。セオテクノでは、職人のいわゆる「親方」のことを「サービスマン」と呼んでいるが、長谷川はそんな肩書きがよく似合う男だと思った。

ただ、部材を積み終えた長谷川のトラックの荷台を見て驚いた。荷台に積まれた部材は全42種類。数にして848個。その数量もさることながら、それらの部材が「これ以上の方法はない」と思わせるほど整然と、かつ、素人目にも合理的に積み上げられている。

ちなみに、長谷川がこの日の自分の現場について知ったのは、前日の夕方のこと。その後、自ら図面を引き、この日の現場に必要な部材の種類とその数を割り出した。それが“いつもの日課”というのだから、まさに“職人の成せる業”である。

「サービスマン」という言葉が似合う誠実さと、“古き良き職人”という言葉が似合う繊細な仕事ぶり。その両方を兼ね備えた長谷川賢二という男の背中には、“古き新しき職人”ともいうべき雰囲気が漂っていた。

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現場で垣間見えた
“プロの流儀”。

この日、長谷川が担当するのは全3現場。その最初の現場である新築住宅の足場施工に、我々は同行した。

8時30分、現場に到着。ただ、「現場」と言っても、そこに存在するのは「基礎」と呼ばれる建物の最下部の構造のみ。我々素人から見れば「ほぼ何もない」に等しい。

まだそこに姿も形も存在しない家の足場を、「大工さんたちがどのような作業の流れで建てていくか?」「どのように作業ができたらスムーズか?」と予測しながら組み上げる。頭では理解していたつもりだったが、いざ現場を目の当たりにすると、その難易度の高さにあらためて驚かされた。

到着するなり、子方(見習い)2名とともに淡々と作業を開始する長谷川。特に綿密な打合せをするわけでもなく、それぞれが自分のやるべきことを理解し、作業を進めていくという様子だ。

時間が経つにつれ、雨が強くなり気温も下がってきた。ハンマーで部材を叩く音が、我々の骨の随に響き渡る。ところが、長谷川の作業は、作業が進むにつれてどんどんスピードアップしていく。特に3階部分の足場を組み立てていいるときは、1階の子方の手から2階の子方の手へ、そして2階の子方の手から3階の長谷川の手へと、決して軽そうには見えない部材が軽々と、そして次々と渡っていく。

まるでサーカスや大道芸を見ているような気分だった。ただ、彼らが我々“観客”を意識することはない。長谷川が意識しているのは、おそらく目には見えない「家」であり、「大工さん」の姿であろう。

わずかに呼吸が合わなかったのか、長谷川が子方から部材を受取れないシーンも何度か見受けられた。それに対して長谷川が怒ったり声を上げたりすることはなかったが、たった1度だけ、長谷川が子方を厳しく叱責するシーンがあった。その時は理由が分からなかったが、後から聞くと、「子方が汚れた長靴のまま基礎の中に入ろうとしたから」だという。

「基礎の中が汚れてしまうと、大工さんにご迷惑がかかってしまいますから」。

ちなみに、作業中にこんなこともあった。現場の隣にお住まいの方が家の外に出てきたときのこと。作業中の職人たちを見るなり、「朝、挨拶にきてくださったんですってね。出られなくてごめんなさいね」と笑顔で声をかけていた。我々はまったく気付かなかったが、このとき初めて、長谷川が作業を始める前に近隣住民の方々へ挨拶に回っていたことを知った。

自分が多少の迷惑を被る分には構わない。ただ、お客さんや近隣住民に迷惑をかけることは許さない。そんな長谷川の姿勢に、“プロとしての流儀”を垣間見た。

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誰もいなくなった「足場」に残る
“生き様”。

13時30分。自ら組み上げた「足場」から降りてきた長谷川が、我々に「この現場での作業は終了になります」と告げた。この足場の上で大工さんがどのような作業をし、この場所にどのような家が建つのか、我々には想像もつかない。ただ、長谷川の背後にそびえる巨大な足場が“完成形”であることは、それが醸し出す整然さもあってか、我々にも分かった。

「今日の作業はどうでしたか?」。そう聞くと、「いやぁ、気温も低いし雨も降っていましたし・・・。あと、(子方の仕事ぶりに)イライラすることも多々ありますからね(笑)」。

最後に、カメラ目線での写真を撮影させてもらった。「もうちょっと笑顔で」「腕を前で組んでください」。そんなカメラマンからのリクエストに、ややぎこちない仕草で応える長谷川。そんな長谷川の様子を、子方たちは少し茶化すような笑顔で嬉しそうに見守っていた。

「足場」という“聖域”のなかでは「親方」と「子方」として、立場的にも実力的にも絶対的な上下関係が存在するが、一歩“聖域”の外に出れば、「面倒見のよい兄貴分」と「その兄貴分を慕う弟分」。そんな和やかな雰囲気を感じた。

撮影を終えると、長谷川は缶コーヒーを片手にタバコに火をつけた。ゆっくりと煙を吐き出す。「この瞬間が最高なんですよ(笑)」。ひとつの「足場」を組み上げたあとの、一服のひととき。その缶コーヒーとタバコの味は、我々の知るそれとはまったく異なるに違いない。

「次の現場も頑張ってください」。我々がそう声をかけると、長谷川は「はい!」と答えて丁寧に頭を下げ、トラックの運転席に乗り込んだ。

長谷川のトラックが出発したあと、誰もいなくなった「足場」をもう一度ゆっくり見上げた。どこか、違和感がある。少しして、その“正体”が分かった。

そこに、「足場」を組み上げた「過程」や「経緯」が存在しないのだ。作業中に基礎や道路に付着していたはずの泥は、今やきれいさっぱり消えている。「足場」を組むうえで移動させていたはずの備品は、今やすべて元の位置に戻っている。「朝にはなかった巨大な足場が組み上がっている」。その事実はあるものの、我々がつい先ほどまで目にしていた5時間の“足跡”がない。そんな不思議な感覚だった。

静まり返った現場に、雨音が響く。この場所に、長谷川賢二という足場職人が作業をした“証”は残っていない。代わりに、「どこまでも裏方に徹する」という足場職人の美徳と生き様が、確実にそこには存在していた。

はじめから読む

足場を固めるものたち

「努力」と「成長」の先にあるもの。

セオテクノから独り立ちしたOBたちの「今」を紹介します。

波瀾万丈。セオテクノの“のれん分け第1号”。

セオテクノ東京西
深川 完

深川完がセオテクノに入社したのは22歳のとき。子どもが生まれ、「ちゃんとしなければ」と思ったのがきっかけだった。たまたま中学校からの幼なじみが働いていたこともあり、創業間もないセオテクノで「足場屋」としての人生をスタートさせた。

だが、腰を痛めてしまい2年でセオテクノを退社。その後は大手企業に就職し、特に不自由ない生活を送っていた。

転機が訪れたのは、6年後。会社から、家族全員でオーストラリアへの出向を命じられた。当時はマイホームを建てたばかりということもあり、心が揺れた。そんな時、かつてセオテクノを自分に紹介してくれた幼なじみにばったり出くわした。

「(セオテクノが)お前のこと、探してたぞ」――。この言葉がきっかけとなり、再びセオテクノで働くことを決意する。

「前の会社は大手だったので、そこを辞めてセオテクノに戻ることに、正直、葛藤はありました。でも、辞めて6年も経ってるのに『探してる』って言ってくれたことが嬉しかったし、何より、セオテクノという会社が好きだったんで。戻ってきた瞬間、久しぶりに実家に帰ってきたような懐かしさがありましたね」

6年ぶりの再スタート。ただ、6年前と異なっていたのは、「独立」を視野に入れていたことだった。

「いちばん最初に会ったとき、『俺は国道16号を制覇したい』みたいなことを高橋社長が言ってたんですよ。それで6年ぶりに戻ってきたら、社屋が2階建てになっていたりと、確実に会社が大きくなってた。だから僕も、その夢を一緒に実現していきたいと」。

そんな思いで営業やお客さんの窓口担当、さらに経営のことなどを学んだ。そして2010年3月、33歳で独立。記念すべきセオテクノの“のれん分け第1号”となった。

ただ、それは深川にとっても、セオテクノにとっても“初の試み”。出発は、とても順風満帆と言えるものではなかった。

「めちゃめちゃ大変だったし、不安でした。僕は根がネガティブなので。でも、そのときばかりは『なるようにしかならない』『やるしかない』って、めちゃめちゃポジティブに考えましたね」。

ところが、独立1年目は「売上を上げなければ」「社員に給料を払わなければ」「材料を遊ばせておくわけにはいかない」という思いが空回り。それがだんだん焦りにつながっていく。

そして独立2年目。悲劇が起こる。高所から転落し、67針を縫う大ケガ。命こそ取り留めたが、長期休養を余儀なくされた。

「事故が起きたとき、真っ先に病院を探してくれたのも、僕が休養している間、代わりに会社の面倒を見てくれたのも高橋社長でした。いわば “お父さん”的存在であり、“恩人”ですね(笑)」

2ヵ月後に無事仕事に復帰。ただ、その後も会社は赤字経営が続いた。それでも、失敗を繰り返しながらガムシャラに走り続け、今は12名のスタッフを抱えて会社の経営を切り盛りしている。

「『独立しなきゃ良かった』なんて一度も思ったことはありませんが、『独立して良かった』と感じることもまだありません。最近はスタッフにも恵まれ、ようやく落ち着いてきましたが、やっぱりまだまだ不安ですし、高橋社長にすがっちゃうこともありますから。ただ、僕は『ウサギとカメ』で例えるなら『カメ』。時間はかかるかもしれませんが、他の支社長に追いつき、追い越せるように頑張ります」

そんな深川には、ひとつの「夢」がある。

「高橋社長を海外旅行に連れていきたいんですよ。『お金もスケジュールも全部俺に預けろ』って言って。僕は、セオテクノに間違いなくいちばん迷惑をかけてるし、恩返ししなきゃいけないことがたくさんある。だからこそ、高橋社長にはまだまだ長生きしてもらわないと。まだまだ迷惑もかけると思いますしね(笑)」。

独立して良かった――。「カメ」が「ウサギ」を追い越す日は、そう遠くないかもしれない。

看板とともに受け継ぐ「セオテクノ“イズム”」

セオテクノ埼玉
白石 健

白石健がセオテクノで「足場屋」としての第一歩を踏み出したのは、1999年。白石が20歳、セオテクノが創業2年目の年だった。

当時の白石の印象は、高橋社長曰く“ひょろひょろ”。正直、「1ヵ月はもたないのではないか?」と心配していたという。

ところが、ふたを開けてみれば、白石は他のどんなスタッフよりも弱音を吐くことも少なければ、仕事を休むことも少なかった。独立するまでの在籍期間は実に11年。継続在籍年数としては、いわゆる“創業メンバー”を除けばセオテクノ最長記録である。

ただ、本人に不安や葛藤がまったくなかったわけではない。例えば24歳のとき。職人という4年間経験を積み、親方として日々現場を任される一方で、将来に対して漠然とした不安があったという。

「現場での作業は好きでしたし、やりがいもありましたが、その一方で、この業種は“動けなくなったら使い捨て”になってしまうのではないか?“将来がない業種”なんじゃないか?って。そんな不安が、当時はすごくありましたね」。

そんな不安を払拭するきっかけとなったのが、「社員にならないか?」という打診だった。入社5年目、25歳のことである。たまたま社員が数人辞めることになり、自分より経歴の長い先輩たちよりも先に、白石に白羽の矢が立った。本人は「運が良かっただけでしょうね(笑)」と笑うが、白石の仕事に対する姿勢が、その“運”を引き寄せたとも言える。

「体力的にはもう少し職人として現場に出てもいいなと思っていたんですが、せっかく自分に声がかかったわけですし、この“追い風”を逃す手はないな、と(笑)」。

社員になってからは、営業やお客さんとの打合せ、職人のスケジュール管理、数値管理などを担当。気付けば将来への不安はなくなっていた。ただ、自分で受注を獲得したり、お金の流れを理解していくうちに、少しずつ「自分の力を試したい」という思いが膨らんでいく。

そこである日、「独立したい」と直談判。セオテクノの返答は「そう言ってくると思ったよ」だった。

それからは、セオテクノと二人三脚で独立のための準備をスタート。東京西支社の前例があったため、比較的スムーズに事が運んだ。そして31歳の若さで独立し、セオテクノ埼玉を設立。

「開業するための資金をいくらセオテクノから借り入れるかとか、職人を何人セオテクノから引き連れていくかとか、事前に相談して全部決めていました。また、最初は仕事の7割ぐらいはセオテクノから請け負うという形をとらしてもらったので、仕事がないということもなかった。だから不安はなかったです」。

現在、セオテクノ埼玉には7名のスタッフが在籍。独立メンバーの中でも特に堅実な経営手腕で、順調に会社の業績を上げている。

ちなみに、私生活の白石は、セオテクノに入社した20歳の年に結婚。現在は中学1年生になる息子と小学6年生の娘の父親として、幸せな家庭を築いている。

「将来、息子さんが会社を継ぎたいと言ってきたら?」こう質問すると、「考えるだけ考えますけどね。まあ、ないと思いますよ。息子は“ひょろひょろ”ですから」とにっこり。“社長”としての顔の中に、一瞬、“父親”としての顔をにじませた。

最後に、「セオテクノは自分にとってどんな存在ですか?」と訊ねた。「うーん」としばらく考えたあと、「(どんな存在かは)あまり考えたことがないですね」と白石は笑った。

「考えるまでもない」のかもしれない。例えばセオテクノの高橋社長は、60歳まで現場に立ち、スタッフとともに汗を流していた。そして白石は、そんな背中を誰よりも長く見ていた。現在、白石は社長業を営みながら週3〜4回は現場に出ている。

また、「スタッフが『独立したい』と言ってきたら?」と質問すると、「もちろん、できる限り支援します」と即答した。

白石は「セオテクノ」の看板とともに、「セオテクノ“イズム”」も確実に継承している。

「長」から「長」へ。36歳からの“一大勝負”。

セオテクノ京葉
小山健一郎

小山健一郎の前職は「左官屋」(小手を使って建物の壁や床、土塀などを塗り仕上げる職人)。その道で17年のキャリアを持ち、5名の子方(弟子)を抱える親方として生計を立てていた。

しかし、2008年のリーマンショックの影響で景気は右肩下がりに。子方たちを養っていくのも困難になり、「左官屋」という仕事に見切りをつけ始めていた。そんなとき、知人から「年商4億円ぐらいあって、将来的に独立を視野に入れている人間を探している会社がある」という話を聞いた。それがセオテクノだった。

「最初は『ホントかよ?』って思いました。『セオテクノ』という会社名を聞いても全然知らなかったですしね。僕自身、建設業界にずっと携わっていましたから、業界全体が軒並み落ち込んでいた当時、年商4億あって、しかも業務を拡大していく勢いのある会社ならさすがに名前ぐらいは聞いたことあるんじゃないかと。だから、『そんなウマい話があるわけないだろう』 と(笑)」。

半信半疑だった小山は、セオテクノについて自分なりに調査を開始。インターネットでの検索や会社の下見はもちろん、興信所に依頼してセオテクノの信用調査まで行うほどの徹底ぶりだった。

「36歳で子方も抱えているのに転職するっていうのは、いわば“一大勝負”ですからね。かなり慎重になっていました」。

調査の結果、知人の話にウソはないと判断。そこで、その知人を介して高橋社長に一度会ってみることにした。

「実際に会ってみて、人柄と声のトーンに惹かれました(笑)。それで『いっちょやってみるか!』と。決断は速かったですね」。

こうして、36歳・小山健一郎の“一大勝負”が幕を開ける。17年間培ってきた「左官屋の親方」としての地位もプライドも捨て、「足場屋の見習い」としてのスタートだった。

「ゼロからのスタートとはいえ、ずっと職人として生きてきましたし、高橋社長からも『お前なら3ヵ月で一人前になれる』って言われていたので、正直、『どうってコトないんじゃないか』と。でも、ふたを開けてみたら全然簡単な仕事じゃないし、3ヵ月で見習いからサービスマン(親方)になれる人間なんてほとんどいないんですよ。その点は騙されましたね(笑)」。

そんな言葉とは裏腹に、小山は並々ならぬ努力と覚悟を武器に、驚きのスピードで足場屋の仕事を習得。セオテクノ史上最速の2.5ヵ月で見習い期間を終えた。その後も約1年半、親方として現場で腕を磨いたのち、独立に向けて営業や数値管理業務を担当。そして2013年、セオテクノ京葉を設立した。セオテクノの門をくぐってわずか4年。セオテクノ史上最速の独立だった。

「独立のときは、何もかもが、とくかくバタバタでした(笑)。でも、不安はありませんでしたね。足場屋の仕事は“絶対になくならない仕事”なので。仕事がなくて赤字が続き、会社をたたむようなことにはならないだろうという安心感はありました」。

現在、セオテクノ京葉には7名のスタッフが在籍。小山が現場にでることはほとんどないが、打合せから職人・仕事・お金の管理といった事務に至るまで、すべてを自分で行っている。

「でなきゃ利益が出せませんから」。そう語る小山の顔には、“職人”ではなく会社の“長”としての風格が漂っていた。

ちなみに小山は、家に帰れば“父親”としての顔も持つ。妻や愛娘、さらに数多くのペットたちと過ごす幸せな時間もまた、小山にとっての“原動力”になっているに違いない。

「“一大勝負”が功を奏しましたね」。最後に小山にこう声をかけると、「まだまだ、これからですよ」という言葉が返ってきた。

「お客様からたくさんのご依頼をいただき、おかげさまで現在、仕事に不自由はしていません。むしろ、人が足りない。もちろん、人が増えれば、そのぶん会社としてのリスクは高まりますが、最低でも今の倍ぐらいはスタッフが欲しいですね」。

家族のために。お客様のために。そして、ともに働く仲間のために――。小山の視線は、さらなる高みを見据えている。

足場に踏み出すものたち

見てくれている人たちが、いる。

セオテクノの足場の上で作業をする大工さんの「声」を紹介します。

01
足場の上で作業をすれば、それが「セオ」さんの足場かどうか分かる。

02
まさに“一蓮托生”。頼もしい「パートナー」だね。

03
初めてセオテクノの足場で作業をしたとき、大工のことを考えてくれているいい足場だなと思った。

04
とにかく揺れない。それが、すべて。

05
大工の仕事を理解してくれているからこそ、仕事を頼みやすい。

この他にも、セオテクノはお客様からたくさんのお声を頂戴しています。大工さんをはじめ、足場の上で作業される方々から「この足場、いいね」と名刺をお持ち帰りいただくことも少なくはありません。見ていてくれる人がいる。評価してくれる人がいる。これがセオテクノにとっての誇りであり、同時に、原動力にもなっています。

Recruitment

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弊社代表・高橋のメッセージや求める人物像、募集要項を紹介。
「これからの人生の足場を固めたい」「将来の成功に向けた足がかりが欲しい」。
そう本気でお考えの方は、ぜひセオテクノの門を叩いてください。

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